マルチリンガル漢字指導法研究会の話をすると、よくこう言われる。
漢字って、マルチリンガルの子に必要なくない?
今の時代、話せればいいんじゃない?
書くときはパソコンが変換してくれるし。
確かに、そう思われるのも無理はない。
でも、私はいつもこう答える。
「いや、必要なんです。」
なぜ、そこまで言い切るのか。
自分でも改めて振り返ってみると、そこにはいくつかの経験があった。
息子の「漢字はもうやだ!」という言葉。
大学生の頃に出会った、日本語学習に苦労していた子どもたち。
盲学校で出会った、生徒との小さな違和感。
それらの経験を通して、私はだんだんこう思うようになった。
日本語を深く理解するためには、やはり漢字の力が必要なのではないか。
今日は、私がどうしてそこまで漢字にこだわるようになったのか、その理由を少し整理してみたい。
私にとっての漢字
実は、私自身は日本生まれ、日本育ちだったこともあって、漢字の勉強に困ったことがない。
書き取りも全く苦ではなかったし、そもそもそんなに何回も書かなくても覚えられたように思う。
一緒に研究会を支えてくださっている漢字指導法開発者の大先生お二人(道村静江先生、小野ふじ子先生)は、それぞれ
漢字というのは意味を持つ、世界で一つだけの素晴らしい文字
祖先の知恵が詰まった文字
というようなことをよくおっしゃり、漢字へのものすごい愛を感じる。
だけど、正直に言うと、私は頭ではその通りと思うけれど、人様の前で熱く語れるほど腹落ちしているわけではない。
それよりももっと、実利的な意味で漢字の力が必要だから、諦めないで続けられる方法を一生懸命探してきた.
読書の世界へのパスポート
何度も書いているが、漢字指導法研究会を開くまでに至った直接のきっかけは息子だった。
小5の時に、
「漢字はもうやだ!やってもやっても忘れるから意味がない!」
という息子に、それまでの勉強法の代替案を出せない自分にがっかりしたからだ。
その時、どうして漢字に固執したかといえば、
学年相当の漢字が読めなくなる
↓
学年相当の本にアクセスできなくなる
という図式が頭の中にあったからだ。
息子は、漢字が読めないことで、読んでいてもいちいち詰まるので、日本語の本を自分からは読まなくなっていった。
フリガナがある漫画は読んだし、しばらくは私が読み聞かせる分には聞いていたけれど。
でも、読書は自分にとって、しっくりくる言語でやればいいわけだし、という思いもあった。
実際、私だって何か知らないことを学ぶのに、わざわざフランス語の本を読んだりしない。日本語の方がずっと簡単なのだから。
それでも、私の中にはもっと根本的に、漢字がないと困るという直感があった。
漢字がわからないと日本語力は頭打ち
それは、自分が出会った二人の生徒さんとのやり取りで感じたことだった。
一人は、私がまだ大学生だった頃。
当時、日本の自動車工場に出稼ぎに来る日系南米人の方が数多くいて、そのお子さんたちは日本の学校に通っていた。
小学校の途中から急にスペイン語圏、ポルトガル語圏から日本の学校にポンと入れられる子どもたち。
日常会話はすぐに使えるようになっても、学習を理解する日本語には大いに苦労していた。
その子どもたちの日本語支援をボランティアでやっていた。
数学はなんとかなったし、国語も意外と文の大意を掴ませることに成功すれば、それなりに読解もできた。
でも、どうにもならなかったのは社会。
漢字のオンパレードだからだ。
世界地理で気候の勉強を手伝っていたが、「温帯」「冷帯」「熱帯」などの言葉。
漢字がわかっていれば、ぱぱっと意味がわかったり覚えられたりすることが、できない。
地理の内容を説明をして、漢字、熟語の成り立ちの説明をしているうちに、時間は過ぎていってしまう。
だからといって、漢熟語の意味もわからず、一つ一つ丸暗記をしていたら到底追いつけない。
どうすればいいのかわからなかった。
もう一人は、盲学校で出会った語彙が増えない全盲の生徒さん。
その頃、少しずつ点字使用であっても漢字の知識は必要だということが言われ始めていたけれど、学校全体が共通認識を持っていたわけではなかった。
なので、必要と思う先生が受け持った時には少し教えて、そうでなければ全く教えられないという状況だった。
その全盲のお子さんの、小学校4年生の国語を教えていたときだ。
物語文で「右折」という言葉が出てきた。
「タクシードライバーが右折をした時だ」というような文面だったと思う。
ふと「右折の意味わかる?」と聞いてみた。
首を振る彼女。
目が見えていれば、文脈と漢字の「右」と「折」を見れば、「右に曲がる」ことは容易に想像がつくだろう。
でも彼女の脳には、「ウセツヲ シタトキ」という音として情報が送られているわけだから、無理もない。
それで、
「右折って、右に曲がるっていう意味なんだけど、じゃあ、左に曲がることは何ていうと思う?」
と聞いてみたのだけれど、わかるはずもない。
「セツ」には折れるという漢字が使われていることも、「左」を「サ」と読む知識もないのだから。
その時、なんとなく彼女とのやり取りで、
「あれ?通じていなかった?」
と思う違和感の正体がわかった気がした。
こちらが「小4なら」と思うレベルの語彙が、意外と彼女にはわかっていなかったのかもしれない。
これから抽象言語のオンパレード、しかもそのほとんどは音読みの熟語なのに、漢字の考え方を教えなければ、日本語力は頭打ちになるだろうと思ったのだ。
それは、ただ
「ひらがな表記ではなく漢字仮名交じり文で書いた方がいい」
とか、そういうレベルではなく、
高度な日本語を理解したり、効率よく習得したりするのに
漢字力は必須!
それが、私が漢字にこだわる理由だ。
漢字力を駆使する長女
長女は、国境を3、4年ごとにまたぐ生活をしてきた中でも、幸運なことに日本の学校に通う期間があったり、補習校に通っていたり、最後は東京国際フランス学園で日本語コースをとり、OIB(現在のBFI)、国際バカロレアの日本語を取得できたので、それなりに漢字も習得している。
それでも、書くとなるとやはり細部を思い出せないことも多く、苦手意識を多少持っているようだ。
でも、私からすると十分漢字力を身につけていると思う。
まず、形声文字の仕組みをなんとなくわかっているので、
漢字の形から、読みを予想することができる
それに、
音から漢字、漢字から意味を予想するという思考回路がある
そのことは、以下のブログに書いたので、よかったら。
継承語としての漢字学習で目指していること
https://jf-bilingual.com/kanji/post-1634/
大学に行き、日本人の大学生と接する機会に恵まれた長女。
経済の用語を学ぶ中で、
「漢字って本当に便利だね〜。いろんな条約とか、漢字を見るだけで予想がつくってすごくない?英語やフランス語だと、見ただけでは予想もつかないから」
と言っていた。
というわけで、ここまでが「漢字は日本語を学ぶ上でやっぱり必要!」という話。
漢字学習は学びを取り戻すきっかけ
ここからは、全く違う、学級経営をする教師の視点。
私は、漢字学習は学びを取り戻すきっかけになると思っている。
そういう場面にたくさん出会ってきた。
小学校3、4年生くらいから、
漢字が嫌いになる
↓
教科書がすらすら読めなくなる
↓
学習全般が嫌いになる
↓
授業の態度が悪くなる
↓
先生に怒られる
↓
学校が嫌いになる
↓
学ばなくなる
という図式通りに進んでしまう子どもが一定数いる。
こういう子は、漢字に限らず、算数でも1、2年の積み残しが多くて、担任をしていると
「どこから手をつけたらいいか……」
と思わずため息が出る。
でも、こういう子には漢字10問テストが実によく効く。
簡単な書き取りテストなら、覚えるコツを教えて、ちょっと横で伴走してあげるだけで、100点の喜びを味わわせてあげることができる。
一つでも学びで嬉しい思い、「できる」という自信を持てばしめたもの。
他のものにも波及する。
もちろん、その子のもともとの能力もあるから、学習の問題がすべて解決することはほとんどない。
それでも、少なくとも学ぶ意欲を取り戻す子どもを、私は何人も見てきた。
4年生の時にうちに宿題をやりに来て、
「漢字はもう諦めた!」
と言っていた娘の友達のMちゃんもその一人。
今では6年生だけれど、
「漢字だけは自信がある」
と言って、漢字テストの結果をピンポンを押して報告に来てくれる。
この前も、
「善の漢字がなかなか覚えられない」
というので、ミチムラ式を使って
「羊、ソ、一、口って言ってから書いてみて」
と言ったら、
「簡単!すごーーい!ともちゃんのママ、神〜!!」
と言いながら帰っていった(笑)
実は、私自身は何かしてあげたという記憶はないのだけれど、
「ママの漢字パワーすごいわ!」
と娘が褒めてくれたので気づいた。
娘が言うには、小4の時、どうやらタイミングよく学び方を教え、学ぶスイッチを押せたようなのだ。
算数と違って、漢字はそういう学び直しがしやすい学習なので、そんな「学び直しの呼び水」としてもおすすめなのだ。