題名には「バイリンガルの強み」としたが、正確には、バイリンガルを目指した結果なるであろう
バイカルチャーの強み
である。
それは、
違いを受け入れる寛容さ
だと思う。
目次
中学の先生が小学校に感じる違和感
先日、15年ぶりに大学院時代の友人に会った。みんな、すっかり偉くなっていて、中学校の先生だった友人は小学校の校長先生を務めてた。
まさしく、彼にとっては、異文化の中に放り込まれているわけである。彼の話で面白かったのは、
小学校の先生の子供のチャイムを守らないという事
チャイムが鳴っても、慌てて走らないその姿に、
「ルールは守らなければ意味がないだろう」
と苛立ちを感じるという話だった。そして、一人イラっとして、子供や先生をせかしているのが虚しいらしい。
私も含めて、その場に小学校の先生が何か居合わせたのだけど、彼の違和感に最初は
?
だった。話してるうちにわかったのは、
チャイムの捉え方の違い
だ。
中学校 → ルール
小学校 → 目安
なのだ。
異文化の裏側にあるコンテクストを考える
気の毒なことに、小学校の中で1人だけポツネンと中学校の先生が入ると、彼が1人で 悶々とすることになる(笑)
結果、彼が導き出した、チャイムを守らない理由は、小学校は、
教科担任制ではないから、時間を守らなくても大丈夫。
私もその通りだと思う。
後は、
子供の成長段階の違い
あるかもしれない。まだ、時間通りにさっとモードを切り替える段階に達してないのだと思う。
彼の話から、スイスの話を思い出した。
フランスと隣同士であるのに、時間の観念が全く違う。例えば、家に招待されたとき、
フランス → 時間20分以上遅れるのがでいい
スイス → 時間通りに行かないと心配される
1度スイスの先生たちの研究会に出て、その理由がよくわかった。
4つの公用語を持つから
ご存知の通りスイスは4つの言葉を持つ。学習指導要領も、言語ごとに4つある。各言語ごとに独立してるとは言え、国全体の方針にはそれぞれ従うことになる。この方針は、決まり次第各言語に訳されるわけだけれども、これはものすごく時間がかかる。
みんなが時間を守らない限りと国として成り立たない
のである。
そんな話をしたら、みんななるほどと納得してくれた。
バイカルチャーに育つという事
1つの国にいて学校種が変わっただけでも、こんな違和感があるのだから、国が違えばこういう違いは日常茶飯事だ。
その度に、自分と違うことに怒ってもエネルギーを消耗するだけなので、
どうしてこうなのかなと考える
ことになる。
うちの子供たちは、考えるまで行かずに、こういうものだと素直に受け入れているように見える。それでも時々、納得いかないことがあると、話してくれて、家族みんなの異文化理解が進む。
そして毎日少しずつ、違いに寛容になっていってる。私はそれがバイリンガルの子供たちの1番の強みだと思う。
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