子供たちが通うフレンチスクールの学級評議会に親の代表として参加した。
学級評議会、これ、Conseil de classe(コンセイユ ド クラス)というのだけど、中学校から高校までフランスじゅうのどこでもある。日本人にとってはびっくりなシステムだと思う。
仕組み
各学期の最後に、クラスごとにクラスの関係者が集まって、子供一人ひとりの成績や学習態度、クラス全般の問題について、一同介して話し合う会。
参加者
管理職、各教科担任、親の学級代表、子供の学級委員
流れ
管理職進行で、
担任がクラス全般の雰囲気、課題などを簡単に述べる。
子どもの学級代表が伝えたいことがあれば述べる。(事前に子供たちに調査)
親の学級代表が伝えたいことがあれば述べる。(事前に親たちに調査)
個々の子供たちの成績表を基に問題、能力を発揮、伸長できているかを話し合う。
この会の醍醐味と思うのは、この時、
一人の子供を立体的に見ること
「注意力散漫」という先生がいれば、「僕の教科でも、いい質問をする」という先生もいたり、「実は、今学期、ご両親の離婚があって精神的にきつかったと思う」と子供の学級委員が補足したりして、その子を全人的に理解しようとする。
守秘義務があるので何でもは書けないけれど、フランスの学校文化で、面白いなぁと思ったことを2点、書き留めておこうと思う。
それぞれの生まれながらの能力に即して考えること
日本生まれの子供がフランスの学校システムに入ったときに躓くこと
それぞれの生まれながらの能力に即して考えること
日本の感覚で言うと、子供も保護者も他の子供の成績が分かってしまうこのシステム、とても違和感があると思う。でも、フランスは、そもそも人と比べても仕方ないと思っている。生まれながらにして持ち合わせた能力が違うのだから。
「比べる」「ほかの人に勝つ」という考えがあった時点で、このシステムは成り立たない。一堂に成績を関係者に公開して率直に話し合うなんて、できない。
日本生まれの子供がフランスの学校システムに入ったときに躓くこと
数学で求められていることの違い
日仏の数学の違いは、前に書いた。
今回、数学の先生のコメントを聞きながら、やっぱり、この日仏両国が数学に求めるものの違いは乗り越えるのが大変、というか親がまず理解しないと、子供は混乱するよなと思った。
仏⇒数学的な考え方
日⇒数的処理
を育成することにそれぞれ力を入れているのだ。
フランスは計算練習はほとんどやらない。小学校高学年でも九九が怪しい子もたくさんいるし、暗算が驚くほどできない大人が山ほどいる。学校でやるのは、ひたすら証明。テストやドリルの問題もすべて文章問題。計算は解き方を考えて、ある程度理解したら、速さや正確さは計算機に頼ればいいと思っている。
かたや日本は、最近は解法をみんなで考えるなど、変わりつつあるけれど、私の世代(親)の時はまだまだ公式を覚えて、早く正確に処理することが求められていたので、そちらに偏りがち。特に、ここ、日本に住んでいる日仏家庭は軒並み公文通いをしているので、なおさら。
「なんか、あのちっこい紙の問題(公文のプリントのこと)を学校でもやっているけど、数学的意味を全く分かっていない…」とため息をつく数学の先生。
成績をもらい、フランス語では苦労しているけど、せめてフランス語を介さない数学だけは…公文では年齢よりずっと先を行っているし…と思っているのに、
「数学の成績が悪かった・・・」とショックを受けているママたち。
この溝を埋めるのは意外に大変かもしれない。
授業で求められていることの違い
フランスでは「授業中の発言」「子供の授業への参加、介入」をすごく重視する。で、これがやはりフレンチスクールに小さいころから通っている子には意外に難しいのだと思う。
まずは、発言のタイミング。
日本では、「人の話を最後まで聞きなさい」と言われて育ち、授業は先生の台本通りに進むことが多い。
フランスでは、授業中の発言は、先生の説明の合間にもどんどん畳みかけるように挙手して、指名されれば答えて、一緒に授業を作り上げていくという感じなのだ。
もう一つは、求められている参加の内容の違い。
日本では、先生の質問に答える、「正解」を答えることが多々。
フランスでは、もちろん、
そういうやりとり(質問⇒答え、一問一答)
もあるけど、評価されるのは、
新しく得た知識を自分が持っている知識と結び付けて考えたこと(深める)
関連する事柄(経験、事実)の提供(拡げる)
といった子供の参加なのだ。
こういう学校文化の違いは、明文化されていないので、子供も親も迷子になりがちだけど、それぞれの良さを理解して、バイカルチャーな子に育ってほしい!
コメントを残す