高校1年の時の国語の授業で印象深かったことがある。
定年間近な男の先生だったが、「この漢字読めるやついるか?」と言って、シーンとした中、私が答えたのだ。
どんな字だったか忘れたんだけど旧字で、
「青」という字が入っていたので、「セイ?」
と答えた。「なんでわかった?」と問われたので、「青っていう字が入っていたから」と答えた。
そしたら、先生がえらく感激して、「やっぱり進学校のやつは違うな、俺が前にいたいわゆる底辺校って言われる高校の奴らではこういう応用が効かないんだよなぁ」と、悔しそうにぼやいたのである。
なぜか、このことがずっと頭に残っていた。
私の記憶する限り、
漢字では同じ部分があれば同じを読みをする場合が多い
ということを体系的に教わった覚えは無い。おそらく、
多くの漢字を学んでいるうちに、自分でその法則を見つけた
んだと思う。
なぜか、このことがずっと頭に残っていた。
法則性を見つけ、省エネして考えることができれば、知識の吸収は速い。
で、おそらく進学校に進むような子供は、そういう事を自然にできる。
頭の中を整理するのに生まれつきたけている
のだろうし、
整理するための材料を山ほどインプットしてる
というのもあるだろう。きっとこの両方が重なって好循環を生むのだとも思う。
逆に言うと、学習につまずいている子というのは、このどちらかが欠けているか、両方がうまく機能していないんだと思う。
海外で育つ子の場合は、能力的に高くても、この
インプットの量がどうしても圧倒的に少なくなる
ので、法則性を導き出すところまで材料がたまらないのは普通だと思う。なので、
意識して読み聞かせ、読書などで語彙をインプットする事も大事
だし、逆に、
この法則性を最初から教えてあげちゃった方が効率が良いこともある
と思う。
そう考えて、私がファシリテーター役を務めるマルチリンガル漢字指導法研究会のこれからの方向性を考えると…
海外で漢字に触れる機会が少ない子供たちにランダムに教えるより、
ある程度漢字の法則性というか、原理、仕組みを教えた方がいい
というのが、私の中の結論になった。
もちろん、こどもは必ずしも論理的に考えるわけではないので、あれこれ考えず、ランダムに、コンテクストにしっかり結びついていた形で漢字を入れてあげることも並行しながら…。
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