夏休み、フランスに帰省中。何年ぶりかに、5日間も家族と離れて、1人でバカンスする幸運に恵まれた!その中でやったワクワクしたことの1つ
昔勤めていた補習校の同僚&マルチリンガル漢字指導法研究会のメンバーでもある友達とzoomでおしゃべり
大学院でインストラクショナルデザインを研究してるとしている彼女のインタビューに応える予定だったのだけれども、すっかり、予想通り?おしゃべりに夢中になってしまった。でも、彼女との会話の中で、私が漠然といつも考えている
継承語教育での漢字学習で私が目指していること
が、はっきりわかったので、まとめておきたい。
「継承語として日本語を学ぶ子たちへの漢字指導法」についてインストラクショナルデザインの手法を用いて効果的な方法を見出し、論文を書こうと試みている彼女が最終的に目指すのは
自律した漢字学習者
それは全く私も同感。でも、何をもって自律しているというのか、そこは少し違うようだった。
彼女は、
漢字を嫌いにならずに日本語(漢字も含めて)を学習続ける学習者の育成
と考えているらしいけれども、私はもっと欲張っているのかな?プライベートネタで申し訳ないが、家族の具体的な姿を見出しながら私の目指す「自律した漢字学習者の姿」を描いてみたい。
目次
自分に必要な漢字の力を見極める力
これは、フランス人の夫がロールモデルとしてはっきりと私の中にある。彼は、漢字を結構読む事はできる。読めなくても、新聞の見出しを見て大体の内容を理解することができる。なんでも、早稲田に留学していた時に出会った先生に漢字の音符や部首の仕組みを教えてもらってから、効率的に覚えられるようになって、その時一気に漢字を習得したそう。(その間1年で、私と出会ってからは、かれこれで20年近くなるが、漢字を勉強してるの見た事は無い。ちなみに、早稲田に行く前にフランスで2年ほど漢字を学んでいたが、日本のいわゆる「繰り返し書く方法」でうんざりした上、全く覚えられなかったらしい。)
このように、それなりに漢字を使いこなしている彼だが、決して書こうとはしない。彼いわく、「漢字は、パターンを理解すれば、読めるようになるのは割と簡単だが、書くためには相当な時間が必要で、それに必要な努力や時間に見合う結果がないのだ」とのこと。彼は、日本で仕事しているが、自分で書くメールは英語でいいし、日本語で書かなくていけなくても、変換した漢字から選べる力があれば良いので長い時間をかけて漢字の書きを習得する必要がないと考えているのだ。
漢字力を未知の語彙を理解するのに使う力
唯一、漫画やアニメだけで日本語とつながっている現在の息子(15歳)が、こんな質問を私にしてきた
「ママ、モウシュウってどういう意味?」
見ているアニメの中に出てきたらしい。
「えー? どんな文脈で出てきたかとか、何のアニメだったかとかわからないと何とも言えないな。超臭いっていう意味かな?(猛臭と思った!)」
と答えていたら、長女がすかさず横から「どういう漢字書くの?字幕に出てたでしょう?」と質問した。
ということで、アニメのその部分を見てみると、出てきたのは、「妄執」だった。
それを見た娘が、すかさず、
「なるほどね、妄想する執念ね」
と言って、それぞれの言葉をフランス語で息子に説明してやっていた。この
意味がわからない言葉にぶつかったときに漢字から予想するという態度
こそが、私が目指す「漢字力」の一つ。
私が昔教えていた盲学校で、「点字使用者であっても漢字の学習が必要、そうでないと日本語力が頭打ちになる」と考えた理由と同じだ。漢字1字1字ではなくて、漢字から語彙を増やしたり、意味を想像したりする力がつけば、絶えず自律して漢字学習を無意識にでも続けることができるし、そこから見える世界はうんと広がると思うのだ。
必要だと思う時に適切な目標設定、方法を見つけられること
というわけで、何気ない行動から私を唸らせたその長女。9月からはフランスの大学に進学するのだけれども、時間がある夏休み、「漢検を受けようかなぁ」と言い出した。
正直私は必要ないと思うのだけど(笑)ともあれ、自分が漢字力をキープしたいあるいは伸ばしたいと思ったときに、その
具体的な目標を設定できること
は大事な力だと思う。
過去問集を手元に置いてあげたら、1回分解いて、全然歯がたたないことを自覚。
「何から始めようかなぁ?ママが前に教えてくれた音訓ソング、あれ結構効いたんだよね。あれからやるかな」
などとぶつぶつ言っている。こんな風に
具体的に自分に合った学習の仕方がわかっていること
も、自律した学習者の大事な要素だろう。
と言うことで、長い目で見ればこの3つの条件
- 自分に必要な漢字力を見極められること
- 漢字力を未知の語彙理解に積極的に使えること
- 必要に応じて漢字力を伸ばす時の目標設定の仕方や方法を持っていること
が私が目指す「漢字に関する自律した学習者」なのだ。
私の話を聞いて、元同僚の彼女は、
「なるほど、それは確かに自律した学習者ですね。何がそれを可能にしたのでしょう?お母さんが教育者というのは大きいですかね?」と質問してきた。
確かに、長女は最近になって「お母さんが先生だったことで、日本語の勉強においては、結構得したと思う」という。どんな点で?と聞くと、
- 高い目標、長期の目標を設定してくれた
- 大事なこととそうでもないことを取捨選択してくれた
- いろいろな学習方法を提案してくれた
- 途中で諦めずに伴走してくれた
などをあげていた。
でも、同じように育てたつもりの息子はまた違うように育っているし、何がよかったのか、正直私はよくわからない。
ただ、長女が挙げたこれらのことを私が続けられるように支えてくれた、今も支えてくれているのは、「ああでもない、こうでもない」と語り合ってくれた昔の同僚たちのおかげだし、今は、マルチリンガル漢字指導法研究会の仲間のおかげだ。何を目指すのかは、それぞれ違うだろうけど、それを模索する時に仲間がいたら随分助かることは確か!
仲間を探している人はいつでもウェルカムです!