昨年から、勤務校で算数も教えている。
受け持っているのがフランス語と日本語のイマージョンクラスなので、そこでフランスの算数プログラムの一部を日本語で教えているのだ。
フランスの教科書をまず読み解き、そこでねらいとすることを理解し、日本の教科書の中から使えるところは使い、カバーできないところは、フランスの教科書を翻訳して一部使うという・・・一年目はなかなか大変な作業だった。
「どうして、こういう単元の並びなんだろう?」
「この問題を導入に持ってくるか??!!算数嫌いな子はもう最初から諦めちゃうのでは?」
「こんなやり方だと、地頭がいい子はいいけど、普通の子には基礎の力が定着しないのでは?」
などと次々と疑問が湧くけど、とにかく次の授業準備で考える暇もなかった一年目。
時々、すれ違う同じように英語とフランス語のイマージョンクラスを持っている、カナダ人やイギリス人の同僚からは、
「日本の算数教育の方が優れているから、日本式でやった方がいい」
と一蹴。それでも、フランス式のよさもあると授業中の子供の様子から感じていた。それは、
自由に、持っている切り札を使って問題解決をしようとする態度が定着していること
わり算の筆算の仕組みを理解する授業
例えとして、この前のクラスの問題解決学習場面を紹介しよう。
72枚の色紙があります。これを3人に同じ数ずつ分けると一人何枚になるでしょうか?
という問題。
72➗3という式を立てるところまではみんなで確認して、では、これをどのように計算するかというところを考えてもらう。
まだ2桁➗1桁をやったことがない子供達である。覚えた九九の範囲を超えてしまう。それでも、その既習の知識を使って問題解決を試み、最後にはだから筆算では、このように計算するんだよ、というところに落とし込むのが教師のねらいだ。
導入で、問題をみんなで把握したあと、それぞれ自分なりに解決策を考えてねと子供たちに投げて、出てきたのは3つのタイプの解決案
(一つ目)
7➗3=2・・・1 → 一人分20
10+2=12
12➗3=4
20+4=24
(二つ目)
72➗3
3✖️🔲=72
3✖️21=62
3✖️22=66
・・・
3✖️24=72
これらは、教科書にも出てくる模範解答だ。筆算の仕組みを教える前段階として、教師が引き出したい
大きい位から順番に分けていけばいい
につながるからだ。
そして、次のが、フランス学校特有というわけでもないけど、オリジナルな考え方。
(三つ目)
72➗2=36
36➗3=12
12+12=24
私は一瞬何をやりたいのか、わからなかったけど、読者はわかっただろうか?
72枚をいきなり3つに分けるのは難しいから、まず、二つに分ける。
36枚を3つに分けるのは簡単。10の束を1つとバラを2つずつ分ければいい。そうすると、一つ分は12枚。でも、もう一つの山が残っているから・・・
と考えたわけだ。
私がすごいなと思ったのは、これを
算数が苦手な子が編み出した答えだから
日本だと、今、教えている中学年あたりから、算数が苦手な子は問題解決学習自体に取り組まなくなってしまう傾向がある。
「先生、待って待って!」と言いながら一生懸命自分の考えをまとめ、みんなの前で発表する姿に本当に感心する。
一方で、公文やら学研やらで日本式に勉強して、既に筆算のやり方を知っている子は、ささっと筆算で解いて、私が「どうしてこういう風に計算できるかをみんなに説明してね」と言っても、肩をすくめるばかり・・・。
どうしてこのような姿勢の違いが生まれるのか?
多分日本はパターン化しすぎるんだと思う。なんというか、問題解決をしていても、「何かを解決するため」の授業ではなくて「考える授業のために考える」みたいな?それは子供にとっては全然魅力のないことだし、切実感がないので、形式的に考えるふりをする子はいても、後の子は、どうせ最後に決まった「答え」、この場合は、「筆算のやり方」を教えてくれるんだから、それまで待ってればいいやという姿勢になってしまうのかな。
これまで、日本や補習校で算数を教えてきたけど、フランスの学校の中で、教えていて痛切に感じるのは、とにかく
フランス式に学んだ子供が算数の問題解決学習に根気よく楽しく向かうこと
算数が得意な子もそうでない子もだから、毎回驚く。
来週、ハノイで開かれる外国に拠点を置くフランス人学校の算数教育の三日間の研修に参加させてもらう。
フランスが算数教育で大事にしていること、問題解決学習の具体的な方法を学べるのをとーーーーーーっても楽しみにしている。