勤務校で新しい学年が始まり、あっという間に1ヶ月が過ぎた。 「マルチリンガル漢字指導法研究会」発足以降、力を入れてきた漢字指導。今年も「漢字指導開き」も無事に終わり、「この1年で、この子たちはどこまで伸びるだろう!」とワクワクドキドキしている。
漢字指導で目指す子どもの姿
子どもたちの何気ない質問から、ふと研究会でご一緒している方からの質問を思い出した。
「こうした漢字指導をして、子どもたちはどう変わりましたか?」
昨年、「インターナショナルスクールの子どもたちへの漢字指導の方法が自分なりに編み出せた」と思い、発表したときにいただいた質問だ。
本質を突く、とても良い問いだった。
とっさに私が答えたのは、こんな内容だったと思う。
- 「子どもが『この漢字はまだ習ってません』と言わなくなった。どんな漢字でも、既存の知識を駆使して読もうとする姿勢が身についた」
- 「『割り算の“割”って、“害”と“りっとう”だけど、どうして“害”?悪いという意味があるの?』といったように、漢字を分解して意味を考える姿勢がついた」
- 「自分に合った学習方法を見つけ、『漢字はちょっと面倒だけど、やればできる。知っていると便利』という態度が身についた」
漢字テストの平均点が上がったとか、漢字検定に何人合格したとか、そういうことを言わなかったのは、今思うと良かったと思う。
というか、自分が本質的に重視しているのはそこではないということを、このやりとりを通して改めて実感した。
もちろん、客観的に子どもたちの漢字力を測るためのデータは取っている。しかしそれはあくまで目安であり、時には目標とすることがあっても、「高得点を取ること」や「平均点を上げること」自体を漢字指導の成果とは考えていない。
時間をかけて発破をかければ、点数という形で表れる力は上がる。けれど、それで本当に子どもたちが『漢字を使える』ようになるかというと、それはまったく別の問題なのだ。
スタートラインにいる子どもの質問
前置きが長くなったが、今年の初め、子どもたちからこんな声が上がった。
- 「先生、これは音読みですか?訓読みですか?」
- 「読み方のところに“音読み・訓読み”と書きますか?」
- 「この漢字、習っていないから書けません」
- 「先生、何回書きますか?」
これを読んでいる方は、どう感じるだろうか?
「普通じゃない?」と思うかもしれない。
これらの質問に対して、私の答えはこうだ。
「先生、どっちが音読みで、どっちが訓読みですか?」
→「どちらが音読みで、どちらが訓読みだと思いますか? それぞれどこから来た読み方でしたか?」
「読み方のところに、音読み・訓読みと書きますか?」
→「先生は書かなくてもいいと思います。黒板を見てください。先生はいちいち書かなくても見分けられるようにしていますよ(音読みはカタカナ表記、訓読みはひらがな表記)。どうして音読みはカタカナで書いているのでしょう?」
「この漢字、習っていないから書けません」
→「たしかにこの漢字は習っていないかもしれません。でも、バラバラにしたら、知っている漢字の組み合わせじゃないですか? だったら、書けると思いますよ。」
「先生、何回書きますか?」
→「一つひとつの部品を唱えながら、見ないで5回書くのが目安です。でも、それは自分で変えてください。たくさん書いた方が覚えられるならたくさん書けばいいし、じっと見つめて覚えるならそれでもいいです。」
このように応える私の意図は、次のようなものだ。
- 指示を待つのではなく、自分の頭で考えてほしい
- 機械的に覚えるのではなく、「どうしたらわかるか」「何に役立つか」を考えてほしい
- 自分に合った学び方を自ら見つけてほしい
こうした思いが、じんわりとでも伝わってほしいと思う。
子どもたちは最初、少し怪訝な顔をするけれど、やがてそれにも慣れていく。
一年後、子どもたち一人ひとりが、自分に合った漢字学習法を見つけ出し、
「漢字はちょっと面倒だけど、面白い!やればできる!」
と感じられるようになることを目指して、今年も頑張りたい。