今日は中三の娘の話。
小学校6年生の終わり、補習校を続けるかどうか、娘に決断をさせた。
続けるなら、宿題もきちんとやること。
大変だけれど、いつかやっておいて良かったと思うはず。
これからは、自律して勉強できるように、ママもできるだけ口を出さない。
手伝いが必要な時はいつでもする。
と伝えて。そして、本人は続ける道を選んだ。
中一の時は、私も彼女も、「禁断症状」を起こし多少ぶつかったが、少しずつ自覚、自律を促せてきたと思う。そして今、中三になって、また新たな壁。なので、久しぶりに口を挟んだ。
それがタイトル「勉強してると思ってるけど、勉強にはなってないと思う。」
宿題は、先生に怒られない程度になんとなくやってるけど、勉強になってないなぁと思ったのだ。何故かと言うと、わからない問題、言葉にぶつかった時に、そこで、踏みとどまって、人に質問したり調べたりしていないから。
わかる問題だけやったところで、それは
復習にはなっても、新しい事は何も学んでいない。
メインの学校の大きなテストも終わったところだし、今、日本語学習を締め直すところだなぁと思ったので、口出し決行!
そして、相手は15歳なので、ドラマが展開される(笑)
「そんなに頑張ったって、どうせ補習校の成績は将来何も役に立たない」
⇒成績のために補習校を続けるならやめたほうがいい。成績は、あくまでもベンチマークであって、目的ではないから。
「補習校なんて行ったって何の意味もない」
⇒自分がそう思うなら、やめればいい。いろんな子がいるんだし、先生は手取り足取りやることができない。自分にとって役に立つように、自分で考えなくちゃいけない。
補習校の中学部でありがちな状態に陥っているのだ。
それは、子供もだんだん言うことをきかなくなるし、親は、補習校に行ってるだけで安心している。現地校も忙しくなるし、宿題はできなくても仕方ないと思っている。
補習校の先生も、子供たちの大変さをわかっているので、一通り教えはするけれども、それ以上子供たちを押してはこない。
なんとなく、友達とペチャクチャ喋るのが楽しくて嫌がらずに補習校には行くけれども、勉強にはなってない状態。
本人、うすうすとそれを感じているから、苛立ちがあるんだと思う。
「15歳で、補習校の意味を自分なりに見いだせというのは、難しいとは思う。でも、何となく補習校に行っていても、ただの時間とお金の無駄。何事も自分次第。」
と話した。
本人納得した様子。涙を拭って、放置しようとしていたわからない日本語の問題を出してきた。
数少ない(笑)介入成功の例。
ちゃん、ちゃん。
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