マルチリンガル漢字指導法研究会のファシリテータを始めて6年目となる。
結婚してから、夫の転勤に伴って強制終了させられることが多い人生だったので、私としてはかなり息の長い活動だ。
自分なりには漢字指導法を身につけ、今は、後輩の皆さんにバトンをどう渡すか、「追究」から「発信」へと舵を切り始めたところだ。
振り返ってみると、漢字指導法を究める必要があると強く思ったきっかけが二つある。
一つ目は、盲学校で全盲の小学校4年生を教えていた時。
点字しか使わないその子に国語を教えていた時に、漢字を学ばないと漢語が頭に入っていきにくいので、日本語力が将来頭打ちになると感じたのだ。
二つ目は、息子が小学5年生で「もう、無理。やってもやっても覚えきれない」と言い出した時。
補習校や日本の学校に体験入学などはしていたものの、長女より圧倒的に日本語への接触時間が少なかった息子。日本で教えるような方法で漢字を教えていたのでは、太刀打ちできないと思い知った出来事だった。
いつもこの二つのきっかけが私の中にはあったのだけど、この9月から3年ぶりに、勤務校で違うコースを受け持つことになって、子供達と話しながら、あ、そうだった!理由はこの二つだけではなかった!と気づいた。
それは、
漢字力のなさが、読書を遠ざけ、日本語学習を断念するきっかけとなる
ことだった。
漢字に苦手意識を持ち、教科書を読めない子どもたち
このクラスは、年齢的には小学校4、5年生だけど、小学校3年生の下の教科書で学習をする。
どの程度、漢字を身につけているかみるために、3年上までの範囲で漢字テストを試みたところ、15人のクラスで、
80点が最高点、55点が次。そのあとは、20点もいかない子供達ばかり。
書きのテストだったから、仕方ないかなと思い直し、教科書を読ませたところ、
漢熟語にぶつかるたびに、ほとんどの子が止まってしまう。咄嗟に音読みか訓読みかを選べないのだ。
そんな読み方だから当然、読解ができるはずもない。
こうして、漢字が読めない→どんどん年齢相応の知的レベルに合う日本語の本に手が伸びなくなる→漢字に接触する機会が減る→日本語を学ぶ意欲が減退
と、悪循環に陥るんだった。
4年前、この学校でこのコースを教え始めた時、子供も私も途方に暮れたのを思い出した。当時も色々試したけど、なかなかうまくいかなかった。
でも、今は、この6年間の研究会での学びを活かして
漢字から日本語学習を再び再開させる
と意気込んでいる。
漢字が嫌いなわけ
子供達に「漢字の勉強は難しい?」と問いかけてみると・・・
先ほどのテストで、半分以上の点数を取れた2人は、「簡単じゃないけど、やればできる」と答えた。
この2人は、自分なりの漢字勉強法を確立できて、今回はあまり良くなかったとしても、やればできるという自信があるのだろう。頼もしい。
でも、後の子は、
何回も書くのがやだ
たくさん書いても、どうせ漢字の形が覚えられない、
同じ音の漢字があるから、どれがあっているかわからない
一生懸命書いても、書き順が違うと親に怒られるから
という返事で完全に迷子になっている様子が見えてきた。
そこで、
「1年後は、全員が漢字の勉強は楽しい!簡単じゃないけどやればできる!」という風に先生が教えるよ!ついておいで!」と宣言した。
もう一回漢字に向き合えるためにやったこと
早速次の日、漢字の指導に入る代わりに、二つのことを漢字指導びらきとして行った。
一つ目は、漢字に音訓読みがある訳を納得させる
「みんなは音読みは難しいって言ったけど、そもそもどうして二つの読み方があるの?」
という発問から、
漢字は中国から輸入したもの
音読みは中国の読み方
訓読みは日本の読み方
というのをスライドを使って、紙芝居形式で話したら、子供達からは「そうか!だから、二つ覚える必要があるんだ」「日本語では、同じ読み方でも、中国語では違う発音なんだ」という声を上がった。
日本でも、音読みを1、2年生で扱わない先生もいるみたいだけど、そうすると、3年生になって漢字の数も増えた折に、一気に覚えることが増えるので、私は1年生から両方教えることにしている。その時も、このスライドを使ってお話をしている。紙芝居みたいに話すので、小さい子もよくわかるようだ。その後、大抵の子供達は、二つ学ぶ意味を納得して覚えようとすると感じている。
知っている漢字の組み合わせと気づかせる
新しく習う漢字のほとんどは1、2年生で習った漢字や部品の組み合わせということを意外と子供達は気づいていない。
多分、多くの先生は「1、2、3・・・」と見本に沿いながら、空書きをさせて、あとはドリルで繰り返し練習させるからだと思う。
道村式ではそれを「漢字は基本漢字や部品の合体だから、書く前にそれを言葉で唱えて!書くのは最小限」と教える。
ただ、それだけだと、
唱えているけど実際には書けない子供
が一定数いることを感じてきた。それは、部品の組み合わせの複数の型が頭にないから
と気づいた。それで、道村式指導を開始する前に、私は、大きく4つの組み合わせがあることを教える。
「手繋ぎ漢字」(晴など)
「肩車漢字」(岩など)
「潜り込み漢字」(聞など)
「集まり漢字」(品など)
だ。これは、「漢字がたのしくなる本ワーク2」(太郎次郎社)で学んだ。実際には、漢字の組み合わせの型は、もっと細かく分けられるけど、初めはこの4つにあえて絞る。
この二つのセッションをやってから、道村式で漢字を教え始めると子供達はスイスイ覚え始める。
子供達から「漢字って簡単だね!」という声がで始める。
先日の漢字テストの後のどよ〜んとした空気が一変、子供の姿勢がシャキンとし始める。
教師冥利に尽きる、と感じる時だ。
漢字指導の目的
今年は授業で私が道村式を応用して使うだけでなく、道村式漢字カードを個人持ちさせて、徹底的に使うことにしたので、ここからがさらに勝負どころ!と気合を入れ直したところ・・・保護者から思わぬ声が届いた。
「こんなカードで見ているだけで覚えるはずがない」
「やっぱり書かないと」
「ドリルがあったら配布してほしい」
すごいな、ドリル信仰と改めて思った。
学年初めのテストを見せて、「これまで何年もドリルで勉強してきた結果がこれなんですけど」・・・と言いたい。
が、気持ちがわからないでもないので、とりあえず、残っていたドリルはご自由にどうぞということで差し上げた。
なかなか、使い慣れたものから新しいものに変えるのは勇気がいる。私だってそうだ。
ドリルが埋まっていけば、勉強している気にもさせている気にもなる。教師の仕事がそうした
努力することに伴走すること
に重きを置くのであれば、ドリルは実にわかりやすい。
でも、身についたかどうか、
結果にコミットする
のであれば、結果が出ていない方法は変えないといけないと私は思う。
習うより慣れろ、体で覚える
という方法は、普通の日本人ならある程度通用するかもしれない。だけど、接触数がどうしても少ない私たちの子供には不向き。
大事なのは、ただ闇雲に頑張らせて疲れさせるのではなくて、ある程度やったらどのくらい効果があったかを振り返る。
漢字指導の究極の目的は、
自分に合った方法を子供達自身が見つけるのを手助けすること
にあると私は思う。
というわけで、漢字指導に足を突っ込み始めたわけを再確認、ここから、子どもたちの日本語の勉強を立て直そう!と意気込んでいるところ。