前回の投稿で書いた
知識-語彙-体験
について、何年か前に訪問したフランスの学校のことを思い出していた。
この学校はパリ郊外の公立学校だったのだけれども、革新的な教育方法を試みていて、日本でいう総合学習のようなものを通して子供を育てようと試みていたと思う。
http://ecolesdifferenteshttp://ecolesdifferentes.free.fr/art14a.htm.free.fr/art14a.htm
私が見学したのは、小学校中学年で、地方で林間学校を体験した後の事後指導の場面だった。先生の説明から推察すると、、事前に毛糸はどうやってできるのかというのを下調べして、現地では羊の毛を刈って、それを毛糸まで加工する体験をやったようである。
授業では、ペアを組ませ、
「体験したことの中で心に残ったことを言葉にしてみんなの前で発表してもらいます。10分あげるので準備して」
と子供たちを集会場のようなところで放つところから始まった。総勢50人以上はいたと思う。(こんな広い場所で、この人数をはっきりとした目的意識を持たさずに放つのは、危険!(笑)相当、普段の指導が行き届いていないと…)と内心はらはらしながら見る私。
10分後、「さぁ誰か、みんなの前で発表してくれる?」
何組かが発表したのだが、先生は続けざまにダメ出し。強い口調で、
「あんたたちは何も学んでないの?こんなに日をかけて勉強したのに何も学んでないの?言葉にしなさい。そうしないと人には伝わらない。絶対、何か学んでいるから。」
この後、もう一回時間を挙げて発表させていたように思う。子供の言葉をよく聞き取れなかったので、より深まったかどうかは定かではないけど、先生は「少し良くなったけど、まだまだ。これだと来年行く子供たちに伝えられないわ。明日またやるから。」と言っていた。
私はこの時、
体験活動も言語化してこそ
だよなと思った。それがないとただ「はい回って」終わり。体験で終わってしまって何も残らないのだと。
この「体験の言語化へのこだわり」は、この学校が特別なのではなく、フランスの学習指導要領の中でかなり大事に扱われてんではないかと思う。どこかで時間見つけて調べてみたい。
日本の学習指導要領の「思考力、判断力、表現力」も同じ路線なんだろうけれども、これは指導するのも、測るのも、教師の力量が問われるようなぁ。心を揺さぶるような体験がなければ、それを表現したいという気持ちは沸き起こってこないだろうし、そもそもある程度の知識がないと、同じ場面にいても「意味ある体験」にならないだろうし、素晴らしい体験があっても、言語化することを支える表現力のベースがなければ、「楽しかった」で終わっちゃうだろうし…と、ぐるぐる考えているうちに、
知識-語彙-体験、それぞれ車の両輪と考えて、事前、体験、事後指導を意図的にやる
って大切だなと。まあ、そんなにカチコチに考えずとも、こういうフレームワークを持っているのは大事。
ハッと気づいた。コスタリカ旅行で、事前指導、体験は曲がりなりにもやったけど、事後指導、抜けている!我が子だとつい、いつでもできると思って、後回し。早速、「一番、心に残ったこと、意外だったこと」あたりから聞いてみよ。
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