フランス人夫の「一緒にモンブランを登りたい」の夢を実現すべく、今年の冬は厳冬期登山に挑戦している。
夫の会社のベテランアルピニストたちにアテンドしてもらい、2度、厳冬期常に厳冬期登山を体験することができた。福井県の荒島岳と長野県の唐松岳。スモールステップで技術を学べたし、あまり良い条件でもなかったのに、天の恵みで風が吹き、素晴らしい景色を堪能することもでき、大満足。その山登りをしながら考えたこと。
道なきところに道を作ることは、やはり大変
一回めの荒島岳は、その週に降ったドカ雪の後の土曜日だったので、何が大変って、一歩進むごとに深い雪の中に膝近くまで沈む。アイゼンは持っていたけど、ワカンを持っていなかった私たち夫婦はまさしく「つぼ足」で進んでいくことになった。最初の100mほど登るのに1時間くらいかかったかな。その時点でゼーゼー。夫は早くも「今日は撤退?」と言い出した。(一応彼の名誉のために言うと、体重が重い分、沈む深さは大きく、体重が私の2倍近くある彼は、2倍疲れることになる)
でも、そのうち、トップバッターだった私たちをワカンを履いた人がどんどん抜かして歩いてくれたおかげで、道が少しずつ踏み固められ、歩くのが上に行くほど険しいけど楽になり、なんとか稜線までたどり着くことができた。
当たり前だけど、
道なきところに道を作るって大変なことで、素晴らしいことだな
って思った。
もっと上に行くと、「つぼ足」でも進めなくなり、「ラッセル」といって、腰まで積もった柔らかい雪を掻き分け踏み固めながら進んでいく道もあった。そうなると、ずっと一人の人が先頭に立つわけにもいかず、順番に交代しながらゾロゾロと行列になって歩みを進めることになる。
できた細い道を踏み固めていくこともまた価値あり
一番前を歩く人だけが偉いかというと、後に続く人の存在も大事。一番前の人が、なんとか自分が通り抜けるくらい切り拓いた道を後ろの人が広げ、固めていくのだから。それだけでない、時々後ろを振り返って、見ず知らずの私たちに「ここに落とし穴がありまーす」などと声をかけてくれる。一番前の人は、目の前の雪を退けるのに精一杯でそんな声かけの余裕はない。
奇跡を言語化しシェアしていくこともまた価値あり
山に登る前に、「yamap」というアプリを使って、先に山の様子を知ることができたのも、気持ち的に随分助かった。
これは、登山者が作るプラットホームで、有料会員は自分の山登りの体験やそのルートや写真を載せたり、コメントで残すことができる。有料の人にとってどんなメリットがあるのか、まだよくわからないけど、きっと付随するサービスがあったり、自分の登山の記録を残しておけるという良さがあったりするのだろう。
私は、無料会員なのだけど、他の人の投稿を見ることができる。もちろん、公式サイトや本などの情報も大事なんだろうけど、こういう投稿の素晴らしいのは、
「フレッシュ」であること。
一日前の道の様子などを教えてくれル。
それと、
同じ目線のお役立ち情報が多いこと
「この格好だと寒かった」「頂上でのんだコーヒーが美味しかった」「ここで道を間違いそうになった」などの自分と同じか少し上の人くらいの失敗を聞かせてくれたりするのはとてもとても役立つ。子供が時に先生より、友達の説明の方がよくわかるという感覚と同じだろう。
山登りでの学びを生かして
山登りをしているときは、細い道だし、軽く息切れしているので、そんなにお互い話をしない。なので、山登りをしながら、研究会のことを考えていた。
2019年3月に始めた「マルチリンガル漢字指導法研究会」も5周年となる。
自分なりの漢字指導の方法を確立し、どんなタイプの子供が来ても対応できる、それなりの数の引き出しを自分の中に持つことができていると思う。
私がやってきた事は、既に、何もないところに道を作ってくれたミチムラ式の道村静江先生やリズム音読の小野ふじ子先生の足跡をたどりながら、道を踏み固めていったことだと思う。自分が「山登りをしたかったから」「頂上につきたかった」から、そうしたわけだけれども、これからは、少しは、後続の歩く人の歩きやすさを考えて、道を広く障害物につまずきにくくするよう何かできないかなと。
考えてみれば、結婚後、3、4年ペースで国を跨ぐ引越しを繰り返してきた私。
その前はというと、学生だったからやっぱり、3−4年ごとに一度終止符を半ば強制的に打たれ、環境が大きく変わった。
いつも後ろ髪引かれる思いだったけど、それで、また新しいものに出会い、いい化学反応を起こして来た気がする。それが、人生半ばにして初めて、5年も同じ場所に、4年も同じ職場にいる。その中でもいつも新しいことにチャレンジしてきたので、マンネリ化しているとは感じていないのだけど、「強制的な環境変化に頼らない」、自ら新しい点を打ちにいく時なのかなと思っている。