フランスに進学していた娘が東京の我が家に戻って1年間過ごすことになった。
娘のプロフィールを簡単に話すと、2年前に東京国際フランス学園でOIB(BFI)を日本語で取得したちフランスに進学していた。OIB(BFI)はCEFR規準でC1ーC2レベルの実力を認められた場合に獲得できるので、娘はバイリンガルの中でも「読み書きができる」「均衡型」バイリンガルと胸を張って言える。
その娘が、今は日仏関連のとある協会でインターンをしている。そこで、いろいろなタイプのバイリンガルの人たちに出会えているらしい。基本的に、国際的な環境で育った、同じような境遇の人たちなので、説明しなくても理解し合えるところが多く、とても楽しくインターン生活を送っている。その中で本人がいろいろ気づくことがあるらしく、ぽろっと話してくれたので、書き留めておきたい。
発音と言語力のレベルは比例する
娘が言うには、「発音とその人の語彙力を始め、言語全般の力は関係ないと思うんだけど、発音が不自然な人は往々にして、語彙力や言語全般の能力が低い」とのこと。
これを聞いて、普通の人はどう思うのかわからないけれども、私はなるほどなぁとうなずいた。私は授業で日本語を教えている時、時々子供に音読をさせる。それは、
発音と読みの流暢さを見とるため
音読を繰り返しさせるのは、この「発音を自然に矯正」し、「流暢さを促す」ため。
「流暢さ」は、ただ「読む」ことから「読解」に進むために是非とも必要と意識して行なっていたけど、そうか、発音も日本語力全般の伸びと関係するんだなというのが発見だった。
メカニズムはよくわかないけど。一定量の日本語を聞いたり話したりすれば、自然と発音も良くなり、それが日本語力全般の力を表すようになるのか、発音が悪いとなんとなく自信が持てなくて、日本語の発話がへり、それが言語力の伸びを抑制するのか・・・。
いずれにしろ、これからも積極的に音読を聞き、音読学習を薦めようと思う。
漢字力は高い日本語習得を左右する
もう一つ、娘が言い出して、そう!と思わず、膝を打った話が
漢字の力が日本語力を左右する
という話。
「この前、「激務」という言葉が話に出てきて、何それ?って聞かれて、「激しい勤務」って答えたんだよね。その子がそれで分かったかどうかはわからないのだけど、それを聞いてわからないと日本語力がそれ以上伸びなくない?それで漢字って大事だなって思った。」
と言うのです。
もちろん、場面に即して、その言葉を丸暗記して行くことはできても、漢字力がないと、
語彙を増やしたり、類推力を働かせたりするのが難しい
のです。つまり、わからない漢字熟語(往々にして、音音の組み合わせ)に出会ったとき、
→それを分解して、それに当てはまる漢字を思い浮かべる、
→それぞれの訓読み、ない場合は、その漢字が持つ意味を考えて、
→熟語の組み立てのパターン(上が下を修飾しているのか、下が上を修飾しているのか、反対の意味の漢字の組み合わせなのか)
というプロセスが自然に経て、その言葉の持つ意味を類推する力がないと、なかなか日本語力は伸びていかない。
それが、まさしく、早い段階で漢字をなんとかしないと、と私が漢字研究に傾倒するようになった理由でもある。
いろんなバイリンガルがいてそれでいい
娘は、息子と違い、「日仏両言語で読み書きできなければ日本人、フランス人と言えない」というところにやたら執着してきた。
もしかしたら、実は、私がその種を彼女に埋め込んでしまったのかもと、少し反省はしている。
私はそうは思っていないけれど、「両言語で読み書きができるように育てる」という目標を持って育てたので、長女の彼女にその息が思いっきりかかっていたのは否めないからだ(笑)
その彼女が、いろんなバイリンガルのタイプの人と出会って、その自分の思い込みの枠を少しずつ再構築しているのが彼女との対話から感じられて、嬉しい。
「今まで、読み書きまでができないとバイリンガルって言えないって思ってきたけど、いろんなバイリンガルの形があって、それでもいいんだって最近思うようになった。一般の日本人と話していて、知らない言葉があるとすごく恥ずかしいって思っていたんだけど、そう思わない人もいて・・・どちらかの言語が強くて、でももう一つもそれなりに使いこなしていて・・・」
という彼女の言葉に、これまで自分で自分を縛り付けていた目に見えない鎖を解き放っていく姿が目に浮かんだ。
客観的に見れば当たり前のことなんだけど、彼女だけでなくて、高校生くらいで多くのバイリンガルの子供たちはこの壁にぶつかるように感じている。
わからない言葉を聞ける力
彼女が続けていうには、
「わからない言葉をそれって何?って聞けることがすごいと思う。たとえば、この前話している時に、バイリンガルの友達に「観光って何?」って聞かれたんだけど、観光だよ!!もちろん、顔には出さなかったけど、観光の言葉を知らないの!?それを人に聞ける?!って思った。でも、変なプライド持たずに、聞けた方が絶対いいし、そういうわからない言葉を聞ける力って自分にはないなって気づいた。」
と話している横に、たまたま通りかかったフランス語優勢の息子が、文脈を理解しないまま「観光って何?」と聞いたので、「ここにもその力がある人が1人!」と大笑いした。
確かに、わからないことを質問できることって、大事なこと。
何の言語にも秀でていない私としては、
わからない言葉を抽出して聞き取る力
がすでに羨ましいけどね。このレベルに達するのだって、相当時間を要した。
そんなこんなで、私自身の「読み書きがができるバイリンガル育児」を20歳の娘との対話の中で振り返る、捉え直すことができている。そんな日々を噛み締めたい。