我が家の上二人は、今年家を出てパリに進学した。一番上には、すでに1度家を出ていて1年日本の大学に通うために戻って今回は2度目。
旅立ちにあげるものとして我が家の定番となりつつあるのが、
包丁とレシピ本
レシピなんてわざわざ書かなくても今の時代と思うけれど、うちの子供たちは、小さい頃から「家を出る時はママのレシピ本ちょうだいね」とよく言っていたので、作ることにした。普段、私はあまりレシピ本は見ないのだけど、殿堂入りして覚えきれないものだけ小さなノートに書き留めている。料理の場所で使うので、当然シミだらけになっている。
今時、インターネットですぐにレシピを調べられるので、レシピ本なんていらないかなと思うのだけれども、ちょっとしたコツ、例えば、春雨を戻す時は少し油を垂らすとくっつきにくいとか、ティラミスのスポンジはささっとコーヒーに潜らせるだけにしたらベチャっとしないよとか、そういうことを書いておくと便利かなぁと思って書いてあげている。
ところで、レシピというのは、書こうと思うと、意外と難しい。あんまり細かく書いてもかえってわかりにくいし、全体像をと思って細かいところを端折ると、料理に慣れてない人には再現不可能になってしまう。この匙加減が難しい。
レシピの数を欲しがる娘
一度、家を出て今年、一年だけ戻ってきた娘は、
あのレシピ版とても役に立ったんだけど、数が足りないからもっと書き足して!
と戻ってきて言った。
後は、好きなものを書き足して言ったらいいんじゃない?
と、返したけれど、娘は私に書いて欲しそうだった。
このレシピはどこで手に入れたの?
これ、〇〇くんが大好きだったよね。
これ、学校から帰って、おやつにあると超嬉しかった
などと、いろいろな思い出とレシピがくっついているようで、そのエピソードが料理を作るきっかけや作り方を覚える動機に結びついているようだった。
でも、娘は一人暮らしの時、イベントの時は、張り切って日本料理を作っているが、普段はあまり料理をしていなかったようだ。
原理原則を知りたがる息子
今年初めて家を出る息子も早々に、
僕にも、包丁ちょうだいね、僕にもレシピを作ってね。
と言っていたので、レシピ本を用意し始めていた。ところが、
どの料理のレシピを書いて欲しい?もっと増やして欲しい。
と聞くと、私が書き始めたレシピ本をチラッと見て、
もっと、応用が効くように書いてくれない?なんというか・・・
と言い出した。息子はうまく自分の言いたいことを言葉にできないようだったが、一つ一つのレシピを1つずつ丁寧に教えるよりも、どんな料理にも応用が効くようなテクニックを教えてもらって、レシピ本を見ないで作れるようになりたいということなんだと思う。
例えば、根菜類は水から茹でるとか、青菜は茹でる時は蓋をするなとか、調味料はさしすせその順番で入れるとか、甘辛く煮たいは醤油とみりんを何対何で入れろとか、そういうことなんだと思う。
考えてみれば、たいていの料理を私は、そういうことを無意識に行って、料理をしているわけだ。
ただ、横で時々、料理の様子を見せていたとは言え、料理の経験が少ない息子に「原理原則」的なことを書き残してもうまく応用が効かないだろうし、そもそもやりたいと思わない気がした。
というわけで、なんとなく中途半端のままレシピ本を渡すことになってしまった。
それでも、その後息子が送ってくる写真は、「作ったご飯」ばっかりで、これまで習ったことと現地手に入る材料、懐具合を相談して、自分なりに何とかやっているようである。
それにしてもレシピ本一つをとっても、娘と息子では欲しいものが違うのは、面白かった。
漢字指導のレシピ本作成中
さて、この夏から、これまで目の前のお子さんの状況に応じていろいろ実践してきた漢字指導を、きちんとまとめて、同僚や後輩たちに参考になるような形に仕上げたいと思てまとめる作業をコツコツ行っている。なので、このレシピ本の話は少しヒントになった。
あまり細かく書きすぎても、結局、材料や技量が違うと応用が効かない。ほどよくどんな現場にでも使えるように抽象度を上げたレシピ本を書くことを目指して頑張っている。
整理する作業の過程で、自分が無意識にやってきたことを意識化できることも多く、楽しい作業ではある。かなり過集中の状況で、新学年で忙しい、9、10月も隙間時間を全てそれに注ぎ込んでしまった。ただ、出来上がってみると、第三者にとって役立つものなのか、ちょっと自信がない。モニターになってくれた方の意見を聞きながら微調整中〜