大学の時に副専攻で「日本語教師育成コース」というのをとった。当時、外国籍の子供が増えてきていたので、自分のクラスにそういう子がいたら、知識くらいあった方がいいだろうという軽い気持ちの受講だった。
が、副専攻でとったこのコースが、主専攻の小学校教育よりも多くのことを学んだ。
その一つが、
「生徒のわからなさを理解するために、外国語を学び続けなさい。」
という先生の言葉。日本語を母語として学んでいる私たちは、それを自然に身に着けているので、客観視できない。それをするためには、自らが外国語を学ばないといけないというわけだ。
それを忠実に守ろうとしていたわけでないが、諸事情で、大学を出てから常に「外国語」を学ばざるを得ない環境にいる。今は、英語。
英語を勉強しながら、改めて、この先生の言った言葉を噛みしめている。
最近は、
つたなくても生徒の言葉を最後まで聞かないで指導を入れると、やる気を著しく削ぐ
ことを学んだ。
今、IELTSという英語の能力試験に向けて特訓中で、そのスピーキングテストをネーティブの先生に手伝ってもらっているのだが…
質問に対して答えている最中にいろいろとアドバイスをしてくる
「パート1の設問には、もっと短く答えて」
「パート2はもっと詳しく、長く答えて」
「うーとか、あーとかのためらう音は減点の対象だから続けて」
「表現が固すぎ、カフェで話すように話して」
「例を挙げて」
「いつもの方がもっと話せるのにどうしてテスト形式になるとだめなのかな」
挙句の果ては、内容がつまらないと、あくびをするふりをしたり、のけぞりかえって座ったりして、つまらないとアピールする。
最後はこちらも無表情になり、話す気が段々失せてくると、「笑顔で!!!!」と返してくる。
まだ文を組み立てるのに精一杯なのだ。流ちょうに話せればやっているし、話したいわけでもないテーマで何か言わなくてはいけないのは、日本語でも難しい。授業が終わるころには、おでこにお怒りマークが浮き彫りだったと思う。
でも、そこは私も教師。次の回には、上記のことをやんわりフィードバック。
話していることが終わるまではアドバイスをしないでほしい
と頼んだ。もちろん、会話はずっとスムーズに進んだ。
この経験は、またまた、私に苦い失敗を思い出させた。特別支援学校でマンツーマンで国語を教えていたときのことだ。指導が進まず、立て続けに考えもせずに「わからない」と繰り返す生徒にいら立ち、本人に聞こえるため息をもらしていたように思う。し可哀そうに、大人同士ではないから、その子は私に「そのやり方やる気なくすからかえてほしい」とすら言えなかった。申し訳なかったなと思う。
マンツーマンだと目が届きすぎて、気持ちが入りすぎていけない。いずれにしても、指導をしようと思いすぎるとろくなことがない。今回、自分が学習者になって、できなくてもがいている時の気持ち思い出した。
教師って、よくわかっていないことは上手に教えられないし、よくわかりすぎても上手に教えられないから、難しい。でも、自分が学び続けていれば、謙虚な気持ちをずっと持ち続けていられる。
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