今から20年くらい前、日本で国際理解教育がはやり始めたころ、いくつかの先進校を見学に回った記憶がある。
「ゲストティーチャーを招き、写真、民族衣装、料理などその国の文化を紹介する」
というのが主流で、これで国際理解になるの?と思った覚えがある。
何というか、「点」から「線」や「面」に発展しないような、違和感があった。
コミュニティカレッジに通うようになり、「なる!」と思い始めた。
ここでは、今まで出会わなかった国の人に会う。
ルーマニア、エクアドル、北スーダン、アフガニスタン、トーゴ…
出会って雑談し始めると、その国はもちろん、地方のことも何も知らないことに気づく。
家に帰って、ネットで調べてみて、その国の宗教、地理的位置、歴史的背景…
「へぇ」と思うことが山ほどある。
やっぱり目の前にその国の人がいて、五感で感じた物腰、容姿、ちょっとした違和感があると、調べる手がかりがあって、違う。
例えば、ルーマニアの彼女は60歳近い慎ましやかな元看護士。
彼女が言った「社会主義のころは、町暮らしで現金はあったものの、食べ物を手に入れるのに苦労した。」がヒントになって、「ルーマニア×社会主義」。
トーゴの優しい瞳の彼がいた「フランス語で学校教育を受けた」がヒントになって、「トーゴ×植民地支配」というように。
国際理解教育の第一歩は、相手に興味を持つこと
だと思うので、小学生の国際理解教育で、いろんな国の人に出会うのは、いいきっかけになる。
小学生の英語教育も、ネイティブスピーカーにこだわらず、できるだけ普段会わない国の人を連れてきて、英語でコミュニケーションを取れば、国際理解+英語での有用性が理解できて、一石二鳥のように思うが、すでにそうなっているのかな?
コメントを残す